瀬古利彦の経歴や学歴や現役時代のマラソン記録は?セクハラ発言の詳細や妻(嫁)についても調査!

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瀬古利彦さん、

ハーフの女性アナウンサーに

セクハラ発言をしていたことが明らかになり、

大きな話題になっていますね。

  • 横浜DeNAランニングクラブ総監督
  • 日本陸連の理事
  • マラソン強化戦略プロジェクトリーダー

などを務めていらっしゃる方ですが、

 

  • 一体どんな人物なのか?
  • セクハラ発言は何を言ったの?

など気になったので、

 

  • 瀬古利彦のプロフィール
  • 瀬古利彦の学歴・出身高校や大学
  • 瀬古利彦の経歴
  • 現役時代のマラソン記録がスゴい!?
  • セクハラ発言の詳細は?
  • 妻(嫁)や子供はいる?

などをまとめました!

瀬古利彦のプロフィール

名前:瀬古利彦(せことしひこ)

生年月日:1956年7月15日

年齢:62歳(2018年時点)

出身地:三重県桑名市

瀬古利彦の学歴・出身高校や大学は?マラソン記録がスゴい!

もともとはマンガ「巨人の星」への憧れで

中学時代は野球をしていたという

瀬古利彦さん。

 

投手をしていて、

チーム自体は弱かったものの、

瀬古利彦さん自身は

強豪校から声がかかるほどの

実力だったようです。

 

陸上に目覚めたキッカケは、

中学1年生の時に校内の

5キロマラソン大会で優勝したこと。

 

その足の速さを買われて

陸上部から大会に出場してほしいと

懇願され、出てみたところ

 

  • 市の陸上大会2000mで優勝
  • 県大会でも当時の三重県記録を叩き出して優勝

など、輝かしい記録を残しています。

 

このことで陸上に興味を持ち始め、

野球ではなく、

陸上の強豪校である

四日市工業高校へ進学。

 

高校に入ってからも中・長距離走で

すぐに頭角を現し、

高校1年時、

山形インターハイ800mで3位に入賞

 

高校2年時、

  • 三重インターハイ800m優勝
  • 1500m優勝
  • 千葉国体1500m優勝
  • 5000mで優勝

 

高校3年時、

  • 福岡インターハイ800m優勝
  • 1500m優勝
  • 茨城国体1500m優勝
  • 5000m優勝

と、輝かしい記録を残し続けていました。

 

これだけの記録と結果を残していたため、

多くの大学から声がかかっていて、

箱根駅伝最強の中央大学への

入学が決まりかけたものの、

 

早稲田大学にいたOBからの勧誘で、

早稲田大学の一般入試を受験。

 

したものの、

入試で不合格…。

 

当時はスポーツ推薦のような制度が

なかったようなのです。

 

そのため、アメリカの

南カリフォルニア大学に籍を置きながら、

浪人生活を開始。

 

翌年に早稲田大学教育学部を受験し直し、

合格しています。

瀬古利彦の経歴

早稲田大学に入学後は競走部に入部。

 

これまでは中距離が主体でしたが、

恩師である中村清監督の提案で、

マラソン(長距離)を主体にすることに。

 

箱根駅伝では

1年生から4年連続で「花の2区」に選ばれ、

3、4年生時には区間新を記録。

 

その他にも

  • 大学1年時、初マラソンとなった京都マラソンで1o位。新人賞獲得
  • 大学2年時、福岡国際マラソンで日本人最高の5位入賞
  • 大学3年時、福岡国際マラソンで優勝
  • 大学4年時、ボストンマラソンで2時間10分12秒という日本学生新記録。2位に入賞
  • 福岡国際マラソンで連覇

など、外国人選手にも負けないほどの

輝かしい記録を連発。

 

1980年には

モスクワオリンピックの代表にも

選ばれています。

(オリンピック自体は冷戦による

ボイコットで無くなりましたが)

 

大学を卒業後は、

恩師である中村監督とともに

ヱスビー食品に入社

 

その後も、

  • 1980年、金メダリストも出場していた福岡国際マラソンで2時間9分45秒を叩き出し3連覇
  • 1981年、青梅マラソンで優勝。1時間29分32秒の記録は現在も破られていない
  • ニュージーランドで行われた記録会で1レースで25000m(1時間13分55秒8)と30000m(1時間29分18秒8)の世界記録を同時樹立
  • ボストンマラソンで日本人として史上7人目の優勝

などスゴい記録を連発。

 

しかし、欧州遠征中に足を故障してしまい、

マラソンから遠ざかり、リハビリの日々。

 

実に1年10ヶ月ぶりの復帰となった

1983年東京国際マラソンでは

2時間8分38秒の日本最高記録で優勝。

 

同年の福岡国際マラソンでも優勝し、

ロサンゼルスオリンピックの代表に。

金メダルも期待されるほどの

ランナーとなっていました。

 

日本中から期待されていた

ロサンゼルスオリンピックの金メダルでしたが、

本番での結果は14位に。

 

その後は立ち直り、

世界トップレベルのライバルに競り勝つなど、

大会での優勝を重ね、

ソウルオリンピックの代表にも選ばれましたが、

 

オリンピック本番では9位という結果に。

記録の衰えなどもあり、引退を表明。

 

引退後は、

  • ヱスビー食品陸上部監督に就任(2006年3月で退任)
  • 母校早稲田大学競走部のコーチを兼任(1990〜1994年)
  • 2005年3月より日本陸連役員に
  • 2007年12月より東京都の教育委員に
  • 2013年4月DeNAランニングクラブ総監督に

など、指導者や解説者としての

道に進んでいます。

セクハラ発言の詳細は?

2018年4月に岐阜市で行われた

「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」

でテレビ解説を務めた瀬古利彦さん。

 

終了後に関係者らの飲み会に出席した際、

同席していたハーフの女性アナに

セクハラ発言をしてしまったようです。

 

その内容というのが、その

茶髪のハーフ女子アナの

“下の毛”の色を話題にからかった

というもの。

 

「下の毛も茶髪なんだろ〜?」

みたいな感じですかね…。

 

このハーフ女性アナは激怒し、

会社に報告。

 

瀬古利彦さんは

陸連を通して厳重注意された

 

という流れのようです。

 

典型的な酔ったオヤジのノリですが、

差別されて貶められた

と捉えられてもムリの無い発言ですね。

 

今の時代はもっと些細なことでも

セクハラになるのですから…。

妻(嫁)や子供はいる?顔画像は?

瀬古利彦さん、

すでに結婚されていました。

 

妻の顔画像はこちら!

妻の顔画像

かなりお綺麗な奥様ですよ!

とても60歳手前には見えません。

 

ロサンゼルスオリンピック後に

なんと6回もこの方とお見合いをして、

結婚されたようです。

 

瀬古利彦さんと奥様の間には

4人の子供がいるようです。

 

しかし、長男の昴君は

悪性のリンパ腫=血液のがん

を抱えているそうで、

日常生活をなんとか

生き抜いている状況のようです。

 

悪性のリンパ腫は

完治もなかなか難しいみたいなので、

瀬古利彦さんと奥様の苦労も

相当なものでしょうね…。

まとめ

  • 日本を代表するマラソンランナーとして活躍していた瀬古利彦
  • ハーフ女子アナにセクハラ発言をしたとして炎上
  • 四日市工業高校→カリフォルニア大学に在籍しながら一浪して早稲田大学へ
  • 学生時代から数々の大会で優勝、大学卒業後はヱスビー食品でマラソン選手に
  • 国際大会で優勝を連発、オリンピックにも2度出場
  • 問題となったセクハラ発言はハーフ女子アナの下の毛の色をからかったもの
  • 妻と4人の子供がいる。長男は悪性のリンパ腫を患っている

日本を代表するランナーとして、

注目を浴びてきた瀬古利彦さん。

 

そんなスゴい人物なだけに

セクハラ発言で話題になってしまうのは、

残念な限りですよね。

 

飲みの席でもハメを外しすぎないように

注意したいものです…。

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