佐助稲荷神社の基本情報
- 住所
- 神奈川県鎌倉市佐助2丁目22−12
- アクセス
- JR鎌倉駅より徒歩約20分
- 駐車場
- なし
- 詰め所
- 有り
佐助稲荷神社ご由来
源頼朝は流刑の地である蛭ヶ小島にて平家討伐を日々考えておりました。
そんなある日、稲荷の大神が気高い老翁の姿で源頼朝の夢に現れました。
老翁は、挙兵を促して、挙兵の時期を伝えたそうです。
源頼朝は天下統一の基礎を固めると稲荷神霊の加護に敬意を払い畠山重忠に命じて、佐介山隠れ里の霊地に社殿を建設しました。
人々は信仰をきわめてあつく、出世稲荷として関東一円に信仰が広がりました。
さらに13世紀に鎌倉で疫病が流行した時には佐助稲荷の大神が再び姿を表されて、薬草で病の人々を尽く癒やしました。
源十郎弥十郎事(佐助稲荷霊験譚)
昔、源十郎という魚売りがおりました。
源十郎が由比ヶ浜を通ったときのことです。
犬が狐を追いかけて回していました。
狐は源十郎の魚を積んでいる荷車に飛び込み隠れたので、源十郎は犬を大人しくさせて狐を守りました。
その夜のことです。
源十郎の夢枕に助けた狐が立ちました。
狐は礼をいうと源十郎に魚売りは辞めて佐助ヶ谷で大根をつくるようにすすめました。
源十郎は進められたとおりに畑を耕して大根を作り始めました。
その年の冬の事です。
鎌倉中で疫病が流行り何人も亡くなってしまいました。
病気になった人は必ず、神様が夢に出てきて源十郎の作った大根を食べれば病は治ると教えられたそうです。
噂はたちまち鎌倉中に広まりました。
神さまの言うとおり、源十郎の大根を食べるとたちまち病が回復していきました。
こうして、源十郎の大根は大繁盛したちまちお金持ちになりました。
これも狐が夢で教えてくれたおかげと源十郎は稲荷明神を立てて狐をお祀りしたそうです。
清水 宏積
- 和風デザイン制作 ひだちデザインで神社などのホームページを制作するWEBデザイナー。
日本の神様辞典でもライター活動を行っています。